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西洋と日本の違いを「リズム」と「拍子」で考えた

すごく簡単にいうと、リズムというのは、今の時点で存在しない未来をあらかじめ決めてしまうことです。
たとえば四拍子の曲があるとします。
指揮者は指揮棒を構えて一拍(一拍目の直前の一拍)を振る。
するとそれに続く一拍目、二拍目がどう来るかが予測できます。
棒を振った時点で、そこにはまだ存在しない未来の時間が決まっているということです。
つまり、四拍子というのは、未来の時間をあらかじめ確定し、それ四等分すること。
指揮者が一拍の長さを示すことで、それに続く未来が決まっていくのです。


 それに対して「能」の拍子は、「今」を刻むことだという。

たとえば鞠つき歌です。
 西洋音楽のリズムに慣れた今の子たちは、自分が決めたリズムに合わせて鞠をつこうとします。
すると、鞠の弾み方が狂うと途端に鞠つき歌が歌えなくなったり、鞠を取り損なったります。
 鞠つき歌の本来の姿は、鞠の弾みに合わせて歌を歌うことです。
いうなれば、鞠つき歌をどう歌うかは、鞠が決めているのです。

 ところで
現代は、余命宣告をするのがふつうになっています。
 宣告によって未来の時間を確定させ、残りの日々を充実させようという考えはわからなくはないのですが、やはりこれは極めて西洋的な発想です。
存在しない未来のバーチャルな「死の時」を目の前に存在させ、そこまでの時間を等分に割って日々を生きていく、まさに西洋音楽の「リズム」と同じです。

この生身の体には、未来という観念はありません。
あるのは「今」というこの一瞬のみ。
この刻一刻に、身体から得られるさまざまな感覚のみです。
 普段の一瞬一瞬の「今」を充実させて、気がついたら死んでいたというのが理想的な生き方ではないかと思います。
 (中略)未来を決めるリズムではなく、今を刻む拍子で生きる
 それが、「あわい」の力です。




開拓者」と「農耕民族」の違い、「自然を支配」と「自然と共存」の違い、「音を創る」と「音を感じる」の違い
新しいものを受け入れて進化すべきですが、流れている血が日本人(笑う)

グローバルスタンダードという型枠に押し込まれる状況の中で、何か大切なものを失っている気がします。

強い種でも、優秀な種でもない。
生き残るのは進化した種だbyダーウィン

時代に合わせて変化する、進化することは大切ですが、今を生きること。
これが大事なことです。

面白い視点を見つけました。

このネタは、HONZの書籍紹介を読んでいたら、フッと浮かんだものです。

いつもありがとうございます。
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Ishida Futoshi

Author:Ishida Futoshi
答えは相手の中にある

そんな普通のことがわかりました

力だけでは相手を動かすことができません

だから北風と太陽

相手が動きたくなる状況を作ること

こんなことが大切なのかもしれません

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